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「 いろいろな予感がする 」
まるでめまぐるしく日々が過ぎてゆくので
うかうかしてたら時間に追い抜かれてしまいそう
時代、時代、時代
80年代おわりに生まれた私たちは、気づけばゼロ年代を通り越して
2010年代ももう半ば。
誌面にでてきた気になるフードライターの女の子が
90年代生まれだったりすると、なお驚く
インターネットをいったり来たり、活字と情報の世界を自由に行き来する90年代ニューエイジ!
(そして東京は顔がかわいくなければならない)
ことごとく毎日毎分毎秒、自己の無知さにあきれることばかり
だけど”悔しい”というそれは、糧になって、
わたしは偉人先人先生たちの通って来た道を少しづつなぞっては
あぁ、やっぱり雑誌 relax の中の wanna relax ?のページは最高だったなぁ、
と本に頭を伏せて、紙の匂いをかぎながら振り返る
今見たってかっこいいのだもの
面白いことを考えていたいし、もっと世の中よくしたい
どうやったら先人のその先へゆける ____?
東京に雪が降った
一面白に覆われた東京は、まるで一瞬雪国かと思ったし、
視界が吹雪でにごってかすんだかんじも
都会なのにどうしようもないほど圧倒的な超自然で。
翌日は、みんな引くほど雪だるまを作って
街がバカみたいにかわいい風景になっていたから、本当に、とても良かった
毎年こうやって、東京に雪が降ればいい
さいきん再び考えていたことがあって、
対ひと に対してのことなんだけれど
普段周囲にいてくれるひとたちは、
いちばんだいじな感覚のところを、
ゆわなくてもわかる、という前提で付き合っているひとが多くて
そこが共通してない相手と話すとき、
ものすごく変人扱いされたりして、 ? てなるし、大変疲労する
どうがんばってもあの分かり合えなさ、というのは
なんて言うかリング外すぎるし、平行線だし、
それはもう自分の関係ないところの外側の話として認識していくのが正当て思ってた。
だけれど社会と何らかの形で関わっていかないとだめだって
33、4くらいの何人かのひとが言うから、
きっと彼らの世代になると、そう思うのかもしれないな と
わたしは頭で理解していたけれど、
わたしもそろそろ その時期みたいだ。
黎明期がくるみたいだ。
Wolfgang Tillmans Neue Welt / Wolfgang Tillmans
10日前の HND − KUL の深夜便のフライトは、
真冬の キン と刺さる寒さの
それはそれは よく澄んだ夜空で、
なかなか寝付けずに、こっそりと窓のシェードを開けて見えた星空は
まるでティルマンスの写真集の表紙そのものでとても美しく、私は息をのみました
その後の、
ブタペストでの飛行機待ちの数日は
やりのこしたところを埋めるみたいにして、適当に過ごす。
蚤の市をはしごして、退屈で絢爛なオペラを見て、
たまに3人で過ごしたアパートの前を1人で通り過ぎたりすると
ごはんのシーンだとか、洗濯のシーンだとか、昼寝のシーンだとか思いだしてアレだけれど、
もう随分と昔のことのような気がする。
もう来なくていいな! ブタペスト
後ろ髪ひかれるくらいの、ちょうど良さよ。
私はすこし居過ぎたね
気持ちはすでに、リスボンにあり。
長居するなら海がちかくて猫がいる、港町がいい
2013.5.21
今年は手をのばしてつかむ1年でした
行きたいところへいけたし、見たいものが見れた。
そして、6月にひそかにけれどもまっすぐと立てた目標が、
タイミングやら運やらUFOまでもが重なって、奇跡みたいに12月に叶いました。
最近はわくわくしてばかりいます
来年は宇宙人にも会えそうな気がしています
きっと来年から知らないこと・足りないことだらけで
たくさん頭をかかえるだろうけれど、
ゼロからでもなんでも赤ちゃんみたいな気持ちでがんばるよ!
よいお年をー
思えばそれは7月に、遠くに住む友人から家族アルバムを拝借していたときだった。
その中の1枚に、友人の母の若い頃の写真があって、
友人の母はその友人たちと5人で、巨大なサボテンの前で記念写真を撮っていた。
わたしはしばらくその写真が頭の隅の方に引っかかっていて
7月は夢にも出てくるくらいだった。
これはどこなのか教えてほしいと友人に連絡を取ると
「 ママに聞いたら伊豆のシャボテン公園だって 」と数分しないうちに返事が返って来る。
私の友人は、その写真の中の彼女の母に生き写しなくらいそっくりだった。
着ている派手めの色の服だとか、いっしょに写っている周りの友人たちの中でも
1番に目をひくタイプなところだとか、
そうゆうところも含めて本当に彼女は彼女の母親そっくりで、私はそれをとてもいとおしいと思った。
広い園内で、絶えず注意を奪われる
思いがけずその場所は、7月に私が見たあの夢のようなところだった。
リスザルは私の腕や肩をくるくると走り回ったし、
シャボテンの温室は想像していたより、音もなく静かだった。
私は先のその写真にとても惹かれていたのだけれど、
私が同じようにサボテンの前で撮った写真は、
やっぱり友人の母のその写真のようには、まるでならなくて、
きっとそれこそが、わたしと彼女の違いであって
いつのまにか私は、写真の中の彼女の母親を、彼女として見ていて、
なんとなく写真のなかの彼女にとても嫉妬していた。
とどのつまり、私は彼女にはなれないということを、そうやって写真によって思い知るのだ。
好意のある相手の口から、植物や木の名前が出てくると
私はその相手を、その植物の名前をセットにし、ラベルをつけて頭に記憶するし、
それを自分の中の特別な棚にしまう。
だからポピーを見ればあの子を思い出すし
今日からサンザシは、あの人かもしれない。
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マラムレシュからシギショアラへ向かおうとしたけれど、
その日からしばらく便が運休だそう。
バスも選択肢に入れられたけれど、来た道と同じ道を戻るのはこんな旅行においては不粋だし、
その日の私はどうしても列車に乗りたい日だった。
シゲットマルマツィエイ、サツマーレ、デブレツェン経由の列車を探してブタペストへ戻る。
ルーマニアは、もう 大丈夫。
ブタペストからリスボン行きの飛行機のチケットを取った。
2013.5.18
立派なアロエと、立派な平べったいサボテンを探してる
適当なものがなかなか見つからない
誕生日に高松へ
うどんは2回食べたら飽きるし
アートうんぬんも2個みればどうでもよくなる。
丹下健三展も前日に終わってしまっていたけれど、
それでもやはり 連なる青い島々はきれいで、
エコカーのCMのように ふっくらもっこりしていたし、
部屋から見た夕日と、
小豆島のかどや本社のごま油の匂いなんて格別だった。
Maramureș Vadu Izei 川沿いの小道にて
am.10:00
2013.5.16
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