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北へ!
あとちょっとでロシア。惜しいね。
あのひとの誕生日だったけれど、結局なにもしてあげられなかった。
さいきん特に、なにかをしてあげられた試しがない。
さびしい。
ほんとはとびきりよろこばせたりしてみたいし、
誰よりもアテにされてみたい。
「 9月 10月 」
欲しいものが、買えたし、
行きたいところに、行けた。
必要なものはだいぶ減ったし、
身につけるものもだいぶ淘汰された。
どんどんそがれて そがれて
口に出すことばさえも どんどん減る。
それがいいことなのか、わるいことなのかは わからないけれど
年を重ねるごとに、元々の姿にかえってゆく気がするし、
なにより、
じぶんの体の中とこころの中とが
同じくらいの呼吸や温度でいれることがうれしい。
あぁ、やっとか、とも思うけど。
削いでいくことで、
今までいろいろとバランスを乱してたようなものなども
全部いっしょに削がれちゃうから、
ほんとうの意味で良い呼吸ができるし、心地がいい。
さいきんは珍しく、いろいろな人に会って
じっくりと話す機会が、何度かあった。
きっと ひとにはひとの
いろいろな幸せのあり方があると思うけれど、
あまり器用じゃないわたしにとっては、
多くのものを持って満たされるよりも、
必要なもの以外はぜんぶ捨てて
中身の感覚と近しいものだけをえらんで、生活をまとめてゆく方が、
より満たされていると感じるのだなぁ。と、
改めて考えてなおしてみたのでした。
水に打たれて 瑞々しい 鮮やかな ミドリ
茅ヶ崎の 熊澤酒造。
確かこの日は、雨が降ったんだった。
雨宿りして、
雨ドイの流れる音とか、
トタンにポタポタと響く音が、とてもきれいだったんだよなぁ。
もうすっかり外は寒くって 長袖の季節。
慌ただしく過ぎてく日々のなかで
あれ、もう10月?
なんてことは、よくあることですが。
季節との日々のやりとりは、
ちゃんと残してゆくほうが、
ひとらしく生きているかんじがするのですよね。
最近は中判を買おうか迷っています。
のじまとの夏。
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のじまは 花が好きだ。
ポピー、チューリップ、ガーベラ
確か、彼女は
茎の細いやつがすきだったとおもう。
大学の時に、そういえば そんな話をした。
の「 __ ポピーて、ケシの花に似てるんさ 」
こ「 そーいん 危ねーね 」
の「 たまに間違って、ホームセンタとかの市場に出ちゃったりすんの 」
こ「 ___ わかんねもんなの? それ 」
の「 見分けんのむずいって。だから、ポピー描きたいけど、なかなか売ってねんて 」
東京に、いい花屋ある? と、彼女は車内で聞いてきたが、
わたしに都内の花屋事情はわからなかったので、
種 買って育てれば? と、返した。
その後 たまたま
ふたりで寄った 万代島美術館のmuseam shopに、
外国の花の種が何種類か売っているのを見つけた。
わたしはそのなかに、ポピーがないかどうか探して、
彼女のゆっていた、赤色のポピーではなかったけれど。
英字でoriental poppy(だったような)と書かれた種袋があったので、
指差して、すこし離れた場所にいた彼女と目が合わせると、
ニヤリとした顔でゆった。
こ「 のじまー ほら ポピーあったよー 」
彼女は そのままわたしの方へやってきて、無言で種袋を じっ と見つめて
しばらく黙って考えているようだった。
紙袋のパッケージと格闘するように ひとりで3、4分ほど悩んで、
そのあとは、あのいつものかんじで
何事もなかったように さらりとレジに持っていった。
昔からなんだけど、
無言で考え事をしていたり、
なにかに見入ってるときの 無意識の のじまのあの表情は
___ なんだ。
自分の欲望に忠実で 利己的な雰囲気がしててたまらないし、
結構いい。
ことしの夏はすごかった。
甥っ子たちは あとなん回いっしょに、
夏休みを遊んでくれるんだろうか。
宿題みたり、けんかして泣くのをなだめたり
図鑑や絵本をよんで
川にいって 神社に行って 自転車に乗って けんかして 観察して。
ごはんたべて 川の流れる音を聞きながら、眠って。
13日の夜には、じいちゃんと2人で
むかし通っていた保育園のお寺に、塔婆をもらいにもいった。
般若心経のお経の音の配列が きれいで。
あいかわらず、正座の足はしびれたけれど、
お盆特有の空気が流れていて とてもよかった。
ようやくわかったことなのだけれど。
もしかしたらわたしは、
じぶんの7才以降になくした ここでの記憶を、
甥っ子たちを通して
取り戻そうとしているのかもしれないし。
そうやって、わたしのなかにずっといる
7才のままの膝かかえたちっさいわたしと
正面から向き合おうとしてるのかもしれない。
わたしがこの体で知ってるあんしんは ぜんぶ この家での教えだと言い張りたい。
この土地や家の、四季の循環や
死んだり 生まれたり の
一族のくりかえしのサイクルは、正確で、まちがいがなくて
せかいじゅうのどんな教えよりも信頼している。
だから忘れないようにちゃんと あんしんをからだに刻むんだよ。
「 ほら、安心でしょ。 」 て、ちっさいあの子にゆってあげんの。
中略
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美術とエンターテイメントは全く対極の存在だということ。
気になって調べたところ、
美術は「人々が自分自身に向き合うきっかけを与えるもの」であり、
エンタメは「自分自身と向き合うことからの逃亡であり、気晴らしに過ぎない」、
というパスカルの説と私の考えは全く同じだったので驚きました。
このふたつは近年混同されがちですが、
ようやく今後明確にそして永遠に切り離される時代が来ます。
何故なら気晴らしは成長と結び付かないから、だそうです。
___ canon写真新世紀 HIROMIXインタビュー より引用
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ほんとはこうゆうことは、
自分でもちゃんと、ことばにして整理して棚に戻すべきなのですが、
うまくゆえないかゆいところに
手が届いたかんじがしたので、そのまま拝借。
きょうがとてもいい日だったので、のこしておこうとおもいます。
・「 物 物 」を買いました。
いのくまさんと岡尾さんとホンマさんの本。
装丁からヒトメボレ。中身は、最強のおとなこども!
感度が高くて、あいがある。
これを先にやられたことに嫉妬!
・とこラテを飲みました。(はるタソと。)
うっとりするような泡が まぁるく たぷん と乗っかってるラテ。
もう、うっとり! お月様のよう。とてもきれい。
コーヒーの淹れ方も、
日本のお茶の所作をみてるみたいにきれい。
・花火をみました。
近所の花火。予想外にちかくて大きい。
コンビニビールとマックと焼き鳥と、
ガラガラの 倉庫ちかくのコンクリートにビニールシートしいて
居心地のいいひとたちと。 もう十分 贅沢。
・そうめんを食べました。
いつもたべてるけど。
いつも通りというのは いちばん幸せ。
1日を振り返って 家で はなうた歌う(七尾旅人) 夜。
良き。
夜風は
こっそりと秋のにおいがしてたんだ。
お盆の都内や うちの近所は
ガラン としていて
ひともまばらで。
みんなが じわりと外側に帰ってゆく空気が
目に見えて とてもきれいですね。
わたしのお気に入りの写真。
はっきりゆって
世の中は、
2種類の人種に分けられるでしょう。
旅にでなくても 日常を過ごせる 定住の人種と
旅にでなければ 日常を過ごせない 移動の人種。
どうしたって認めたくないのだけど、
わたしはきっと、後者なのだ。
おだやかで 深く根を生やした
定住の生き方に
強い強い憧れがあるのに どうしたって 逆らえない。
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